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Call Your Name

「いつから好きになったのですか?」という問いには残念ながら答えることができない。いつ、という明確な区切りをぼく自信が認識していなかったからだ。

しかし「いつ出会ったのですか?」という問いにならば回答することができる。1984年の4月。中学校の入学とほぼ同時だったと記憶している。

当たり前と言っていいのかどうかわからないが、当時真帆は男子中学生であり、前髪をおろしてメガネをかけていた。明るく友人も多そうに見えたが、おそらく「こちら側」だろうと思っていた。

「こちら側」とはもちろん、オタク側、という意味で、子供の頃のアニメ好きとはまたちょっと違った気持ちで、アニメ雑誌を立ち読みしたりするようなタイプを指している。ぼくがそうだったから、ということもあるだろうが、自然と世の中の人達を二分してこちら側陣営を増やそうと思っていた。

世の中は、乱痴気騒ぎの如くに明るさを謳歌し、そこに属さない人たちをネクラと蔑み、オカマなど格好の笑いものだった。21世紀の今になって真帆と、あの時代は最悪だった、という話をすることがある。テレビにもオカマの人はよく出てきていたが、登場=笑っていいですよ、という合図のようなものだ。その人が面白いことを言って笑わせる、というのとは明らかに違うムードが漂っていたように思う。

真帆は、小学校からの友人が多かったようだけれど、なんだかちょっと合ってないようにも見えた。ぼくたちオタク組にシンパシーを感じているように思えた……ので、声をかけた。最初にどんな話をしたかは覚えていない。けれど、好きな漫画やアニメの話だったとは思う。ゲームだったかな。

しかし真帆は思ったよりアニメを見ていなかったし、詳しくも無かった。ちょっと拍子抜けしたが、テレビそのものをあまり見ていないようで、漫画だったらそこそこ語っちゃうよ、なんて笑っていたのを覚えている。

もちろん当時の真帆は女装をしていなかった。物心ついた頃には女の子に憧れがあり、思春期の頃には明確に意識していたというから、もうこの頃真帆は女の子になりたいと考えていたはずだ。けれど、ぼくを含め、当時の同級生は誰もそうだとは知らないだろう。真帆は極めて上手にその思いを隠していた。

ただ、一度だけ、思い当たるフシがある。あれは中学三年生の頃だったと思うけれど、友人間で話題になっていた小説があった。「未来放浪ガルディーン」。火浦功が小説にしたすちゃらか巨大ロボットコメディ。真帆はガンダムも見たことがないというのに、なぜかこの本を熱心に読んでいた。そして、ぽつりと登場人物である、シャラ=シャール・酒姫への憧れをこぼした。ダブル主人公のうちの一人、女装の踊り子だ。

どのキャラがいい、なんて話はぼくたちにとって日常的な話題であり、特に珍しくもない。他にだって、「パタリロ!」や、「うる星やつら」について語ったりしていたではないか(……今思えばどちらにも性別を越境したキャラが出てくるが)。しかし、そうしたキャラ萌えというよりは、そのキャラのように生きたいという表明のように見えた。詐欺師にカマ掛けるような狡猾な生き様の部分にぼくなどは注目していたけれど、そうではなかったのだな。可憐に女装して踊ってみせたかったのだ。

意図的なのかそうでないのか、そういう話をぽつりぽつりとするときの真帆は、メガネを外したりすることがあった。理由はよくわからないが、メガネを外したときの顔が女性的に見えることを知っていてやっていたのかもしれない。事実、ぼくは、その真帆を見て、きれいな目をしてるんだなと思った。最初にも言ったが、それが好きになった瞬間とかそんな大層なものではない。それを意識するのは、もっとずっと後……30年近くも後になってからだ。

真帆とぼくは、高校も一緒だった。うちは市内の南側、真帆は市内の中央北側寄りに住んでいたので、帰り道は一緒ではない。けれど、駅まではなんとなくだらだらと自転車を押して話ながら歩いたりはした。漫画研究部などがあれば入りたいと思っていたのだけれど、漫画や絵に関する部活は美術部しかなく、どうやら文芸部がそれに一番近いと聞き、真帆と二人で入部届を出しに行った。ああ、そういう行動も先輩方に腐のつく女性がおられたら格好の餌食だったのかもしれないと思う。それから長い月日を経て、本当にカップルになりましたよって報告したら、どんな顔をされるだろう。

思い出話ばかり長々としていても仕方がない。もう少し話を飛ばそう。

高校はコースからして別々になった。ぼくは理数科。真帆は普通科。若干の授業カリキュラムが変わるぐらいで日々の生活はあまり違わない。真帆は、文芸部と並行してバンドなんかもやっていたみたいだけれど、実はそのへんの活動についてはよく知らない。当時の写真もあんまり見せてもらえない。男っぽいから? とたずねたら、違う、私細かったから、だって。どんな理由ですか。比較されて太ったって言われるのが嫌なのか。今ぐらいまるまるしてるほうが柔らかくてよいではないかと思うのだが。

さておき、卒業と同時にふたりとも大学へは進学せず、予備校に通うことになった。まあ……いわゆる浪人というやつで。同じ予備校だったりすればまた運命は違っていたのかもしれないけれど、残念ながらそうはならなかった。そして、真帆はそれを期に一人暮らしを始めたようだった。あんなに多趣味の人がこの時期に一人で住むとか、今で言う「死亡フラグ」みたいなもので、やりたいこと多すぎて二浪するんじゃないかしら……と思ったりもしたのだけれど、どうやら無事に大学入学を決めたようだ。ぼくも辛くも都内の大学に進学することになった。

若かったぼくは、たとえ別々の学校に行こうが、友情が簡単に壊れたりはしないと頑なに信じていた。

事実、友情は壊れなかった。しかし、その友情を温めるには、時間が足りないことを悟った。日々が豪速で過ぎゆくことに加え、怠惰さも加わり、自然と疎遠になってしまったのだ。結局年賀状だけの付き合いがしばらく続いた。

再会したのは、真帆はFacebookだと思っているようだが……実は違う。それより前にTwitterで見つけた。

Twitterは興味本位で登録してみたものの、イマイチ自分から発信していくことに積極的になれず、アイコンもデフォルトのまま、ROM専になっていた。

その切っ掛けはまったく覚えていないのだけれど、そういえば真帆はこういうwebサービスとか好きそうだし、アカウント持ってるんじゃないかな? と気づいた。探してみようか。とはいえ、他人が使いそうなアカウント名なんてそう簡単には……、わかる。

真帆が高校時代から使ってるペンネームや、メールアドレスのアカウント名は、ずっと変わっていないはずだ。ユニークなバーチャルネームを持ってるとリアルの自分とは切り離した同一性を確保できるから、ということを今から20年も前に考えて実現していた……のが理由かどうかはわからない。けれど、そういうキーワードが真帆にはあった。

ヒットすればラッキーぐらいの軽い気持ちで検索したら、ジャストミート。ぼくの知ってるペンネームで一日10回ずつぐらいつぶやいていた。若者ほどに無駄話も多くなく、時々オリジナリティのあるダジャレなどくだらない話も織り交ぜ、軽い近況報告の場にしているようだった。名前とbio欄で本人だと確信したものの、唯一引っかかったのがアイコンの実写女性写真だ。

いや、もうその時点で、女性じゃない、これ、真帆だなと気づいていた。髪型もロングヘアだしメガネもかけてないけど……ぼくがこの顔を間違えるはずもない。第一印象は、「はー、綺麗になるもんだなあ」だった。

そうか、真帆のどこかミステリアスな雰囲気はこの辺りから来ていたのか。物腰の柔らかさや描く絵や文章の女性的な雰囲気など、思い返せばあれもこれも伏線のように思えてくる。性転換ではなくあくまで女装なのだということは過去ログを読んでいてわかった。ふむ、可愛いではないか。

少し前までは、女装というとどうしたってマイナスのイメージがあった。特に40代の女装といえば、無駄にエロい下着を着て、舌なめずりしてるような下品な写真のイメージしかなかった。真帆がもしそんな女装をしていたら……付き合ってなかっただろうなあ。そういう人は不特定多数の男性とよからぬことをしたいからセックスアピールを必死になってしているのだろう。かたや真帆がなりたい女性像は、ごくごく普通に暮らす同年代の生きた女性のようだ。だからおしゃれをすることもあるし、手を抜いて気楽な格好で買い物に出ることだってある。そういう普通さに強く惹かれた面は否定しない。

さて、気づいてしまった以上、声をかけたいのだけれど、どうすればいいんだろう。真帆のフォロワーは200人程度。社交的な人だからリアルの知り合いだけでもそのくらいはいるだろう。時々あけすけな女装に関するネタツイートもしているところを見るとネットの知人とだけつながってる可能性もある。かつてアップされた自画撮り写真をさかのぼって見てみる。あー、可愛いなあ、気取ってなくて、ごく普通の女性の生活が見えるような写真がほとんどだ。あっ、まどかコスプレ発見。アニメはあんまり見てなかったと思うけど、趣旨替えしたのかな。いや、さすがに話題作だしそのくらいは見てるか。

重ねて言うが「好きになった瞬間」は記憶していない。いないけれど、こうして写真を見ているときに、こんな子と付き合いたいなあと思ったことは告白しておく。ただそれは真帆というパーソナルを意識して、というわけではなく、単純に「写真に写っている女性」を切り離してそう思った。こういう「すごい美人」でも「アイドル級の美少女」でもない、身近にいそうな女性のいろんな写真なんて、身内ぐらいしか見る機会無いだろうから、僭越なモテない童貞のおっさんは、ああ、いいなあ、こういう子と結婚したいなあとか身勝手に思うものなのだ。

結婚……いや、結婚は無理だな。かつてぼくはお見合いを二度ほどして、二度ほど断られている。会話が弾まないのだ。「喫茶店で二時間程度楽しく会話ができる」ことが結婚相手の条件、と紹介してくれた人に言われた。その方は限りなくハードルを下げたつもりでそう言ったのだろうけれど、二時間は長い。趣味が一緒だとか、アニメやロボットやバイクやエンジンの話を一方的にこちらがして、うなずいてくれるというような非対称性を認めてくれるならばともかく。

自分には結婚は向いてないのだろう。長男ではないのであまり家のことを意識することは無いけれど、老後の暮らしを考えるとずっと一人というのも難しそうだ。

真帆は、結婚しているのかな? 彼氏のような影は見えないし、彼女がいたらこんなに女装ライフを漫喫できないんじゃないか。

Twitterだけだとわからないこともあるので、他にもこっそり調べた。mixiとFacebook。ペンネームとメールアドレスから簡単にページは見つけられた。mixiは割とアクティブに使っているみたいだったけれど、日記が友人まで公開になっていた。とりあえず保留。Facebookを見るとパーソナル欄に、独身と書かれていた。名前は本名推奨なのだけれど、苗字はリアルな望月、名前は、男性名ではなく、真帆になっていた。なるほどそうやって使うんだ。性別も女性になっている。現住所は千葉県か。仕事の関係だろうか、甲府には戻ってないようだ。

ここならば大丈夫かな、と何の根拠もなく、メッセージを送信した。「甲府にいた望月くんですか?」

もっと他の言い方があっただろうと今となっては思うけれど、まあ、切っ掛けとしては結果的に良かった。

そこから交流が再開して、トントン拍子に一緒に飲むことになって、二時間どころか何時間でも一緒にいられることに気づいて、はっと思った。切り離していたはずの「こんな子と付き合いたい」と真帆のパーソナルが合致したのだ。

真帆は、ぼくと会うとき、女装じゃなかった。女性的に見えるけれど、男性でーすというポーズをしているような。中性的というよりは、中途半端。これが真帆なりの迷いだったということはあとからわかったのだけれど、最初はちょっとがっかりした。女装じゃないんだ? って聞いちゃったこともあったように思う。

ま、そこから紆余曲折あって、付き合うことになった。こうあっさり書くと、あっさりとした出来事であったように思えるけれど、実のところ気分の高揚は天に登るほどである。根が理系なので、情熱的な文章に昇華するのは得意ではない。その辺の話は真帆に聞いてくれと思う。

指輪あげた話とかもしない。単に恥ずかしいからだ。真帆が喜んでくれたのならばそれでもう充分なのだ。

昔は、ずっと望月くんと呼んでいた。なので再会してからもしばらくはそう呼んでいたのだが、付き合うことになったあと、真帆から、呼び名変えてと言われた。えっ、と思った。そうかそういうところを女性側は気にするのか。鈍いなぼくは。でも、真帆ちゃん? 真帆くん? 真帆さん? うーん、どれが正解なんだろう……。少し困って、じゃあぼくのことはなんて呼んでくれるのさと言ったら即座に、「幸人さん」って言われた。……ああ、なるほど、この少しくすぐったい感じか。仕事では当然苗字で呼ばれるし、あだ名が名前にまつわるものだった試しがない。親からは呼び捨てで呼ばれるがそんなのは当たり前であり意識したことなどなかった。パートナーに名前で呼ばれることの甘さを噛み締めた。よいものだ。

じゃあぼくも「真帆さん」と呼ぼうかって言ったら男が女を呼ぶときはもっと距離が近いのがいい! って、細かい注文を出された。呼ばれたい言い方があるということだな? それを探るのか。

「真帆ちゃん?」「えー、私達43歳だよー?」

「真帆くん?」「なんか古いアイドル雑誌みたいじゃんw」

ならばこれしかないか。少しためらいつつ、「……真帆」と、呼び捨てにした。

すると、真帆はちょっと照れながらぼくをしっかり見据えて「はい」と返事をした。

あー、もう、今の返事には絶対ハートマークついてたよな!? 可愛いなこんちくしょう。この可愛いのが俺の嫁だ。舞い上がらないわけがなかろう!

さり気なく「俺の嫁」とか言ったが、実際には結婚していないし、そもそもできるわけではない。養子縁組という手続きもあるけれど、まあ、ゆっくり考えよう。あんまり猶予ないけれど、まだしばらくはいいじゃないか。

ところで、真帆のことを人に紹介するときにはどうしよう? と本人に相談してみた。

「彼女」?「女房」?「妻」? 見事にどれにも「女」って文字が入ってるなあ、それでももちろん構わないのだけれど、せっかくだから違うのにしようか、と言ってみる。「家内」?「奥さん」? ってそういうのは結婚してると誤解されちゃうよーと真帆は照れる。

「パートナー」?「相方」? と言ったら真帆は、言った。「なんでもいいけど、一番甘いやつがいい。」

それを難題と言うのだ。未だに決めきれていない。マイスイートハニーとか紹介してやろうか。真顔で。そしたらぼくもダーリンと呼んでもらいたい。電撃くらいそうだけどな。

Delusion Stream Liner

コンビニの店員バイトをやっていますと、いろんなお客さんとふれあうことになります。

毎日同じものを買って行かれるお客さんは、自然と覚えてしまいます。そうするとついつい心の中でアダ名をつけてしまったりして。たいていは、その方のタバコの銘柄とか、毎回買っていく特徴的なもので。キャビンマイルドの人とか、ハッピーターンの人とか。

そういう方って、おそらくご近所にお住まいか、職場があるんでしょうね。不条理なクレームをされたりしない限りは、どんなお客さんもお客さんです。

さて、そんな中、最近一人のお客さんの、あることに気づいてしまいました。何に気づいてしまったのか。

そのお客さん、男性の姿で来られるときと、女性の姿で来られるときがあるんです。おそらくご本人はバレてるとは思ってらっしゃらないんだと思います。単に無頓着なのかもしれませんが、もし自分がそうだとしたら男女のときで別のコンビニに行くと思うんです。

いくらコンビニには大勢のバイトがいるとはいえ、シフトの関係上、両方を目撃することは充分有り得るのです。まさに私が気づいたように。コンビニ店員にバレても問題は無いと考えているのでしょうか、それとも絶対ばれない自信がおありなのでしょうか。

元の性別は男性なんだと思います。で、時々女性の姿で来られる。きちんとお化粧もして、スカート履いて。コンビニ程度の接客速度と会話では、おそらく見抜くことは難しいかな、というレベルじゃないかな。見た目じゃほとんどわかりません。ホット商品の注文などで声を聞くことがありますが、ちょっと低い声だなとは思いますが、あらかじめ疑いの目で見ていなければスルーしちゃうでしょう。

男性のときの服装は、一応ビジネススタイルであることが多いですが、あまりキチッとした感じでは無い様子。上着やネクタイはないことが多く、代わりにカーディガンを羽織ったりして。そして、長い髪を一つに縛っています。そういうのが許される職場なんでしょうね。

女性のときの衣服の感じからすると、夜のお仕事というわけでもなさそうです。どちらかというとほわっとした少女的な服を好まれるようです。フリルとかちょっと多め。年齢は30代から40代くらいだと思いますが、童顔のためか似合っています。

買っていくものに決まったものはありません。タバコも吸わないようです。お酒は時々買って行かれます。年齢確認ボタンを押す時、ちょっと可愛い感じで押します。絶対心の中で「えいっ」って言ってます。乙女を漫喫している感じがして、私は嫌いじゃありません。

アダ名は、オトメさん、と名づけました。

だんだん私はその人で妄想をするようになります。違う服を着せてみたいとか、……脱がせてみたいとか。どういう身体をされているんでしょうね。あんまり痩せ型ではないので、ぽちゃっとした感じの丸みのある身体でしょうか。

私は、趣味で絵や漫画を描くのです。世間一般的にBLと呼ばれるジャンルです。男性同志の恋愛を妄想したり傍観したりするのが好きなのです。なので女装、どんと来いです。というか、リアルな妄想材料をありがとうございますというか。

オトメさんは、必ず一人で来られます。複数人で来たのを見たことがありません。

勝手な妄想が膨らみます。別の常連さんとカップルにしてみたりします。最近駅前ビルの工事のために来ている屈強な男性とくんずほぐれつさせちゃったりします。ああ、可哀想なカノジョは乱暴に扱われて、シフォン生地の柔らかなブラウスの下にアザや傷を隠しているのです。……とか。見えそうなギリギリのところに強くキスマークをつけられてしまったりとか。

……この妄想はかなりはかどりました。ノートにネームまで起こしてみました。描いてみようかなと思っています。

そんな私の妄想の餌食になっていたオトメさんですが、ついに変化が訪れました。いや、他のバイトさんだったら気付かなかったかもしれませんが。

男性モードで来店されていたときです。いつものようにお買い物をして、お財布に手をかけた時、見えました。

指輪を、していたんです。今まではしてなかったはずの左手薬指に。細い目立たない感じですが、キラっと光ったのをワタクシ、見逃しませんでした。そして、うっかり、そこに目を奪われたまま、私はあっと声をあげてしまったのです。

オトメさんは、そんな私を見て、一瞬驚いた顔をしてから、ゆっくり微笑みました。あぁ可愛い笑顔……。本当に乙女っぽいなあ。よいなあ。……どういう人にもらったんだろう。女の人にもらった可能性だってあるけど、あの指輪は女性向けデザインです、どう見ても。

金額を告げて、お釣りを渡して、いつもならコンビニ店員とお客さんのふれあいは以上で終了です。もう少し知りたい、聞きたいな、と思った私は、店員の枠からちょっと足を踏み出しました。「あのっ……」

「はあい?」とオトメさんは、小首をかしげるようにして私の顔を見ました。男性モードなのを忘れてるんじゃないかしら、この人と思いつつ、勇気を振り絞ります。「指輪、素敵ですね。」

言えた。言った。するとオトメさんは、目をぱちっと見開いて、「ああ……これ、気づいちゃうよね。ちょっと恥ずかしいな。でも、ありがとう。」とおっしゃいました。

世の中の人は、恋人でもない他人の小さな変化や違和感を通常はスルーします。気づいたとしても、それに重要な意味でも無い限りは話題にもしません。心のなかのちょっとしたもやもやとして短期記憶だけされ、長く覚えていることもほとんどないでしょう。そうした記憶の隙間をうまく利用して、オトメさんは男と女を行き来しているのかもしれません。まじまじと見れば、男性モードであっても、爪にはベースコート塗られているし、ファンデーションも塗ってるっぽいことに気づくのですが。

「私みたいなの、お店で話題になったりするの?」とオトメさんは言いました。私の胸がちくんと痛みます。私みたいなの、というのが女装する男性、という意味であることは間違いなさそうだけど、そんな卑下した感じで言ってほしくないと思いました。

「ファンなんです。」と私は言いました。ものすごいそぐわない一言だと我ながら思いつつ。ああ、やっぱりオトメさん、固まっちゃったじゃないですか。でも、手で口元を抑えながら、笑い出したようです。あなた、おもしろいねって聞こえました。

私はますます挙動不審状態になって、「も、もっとオトメさんのこと教えてください。」って言っちゃいました。

ばか。

ばかばか。

オトメさんって、私の心の中でのアダ名でしょうが。本人に言うとか、一番やっちゃいけないことでしょうに!

でも、オトメさんは、全然怒ったふうを見せませんでした。それどころか、潜めた声で「それが私のコードネームなのね? うふふ、やっぱりおもしろい子だね、レジ子ちゃん。」

天よ。神は目の前にいました。ちょう心広い。めっちゃいい人です。私はあたふたと謝ったりお礼を言ったりと、さらに挙動不審度を増しました。わひー。

そうこうしているうちにレジに行列ができてしまって、私はあっ、すみません、とか言ってレジに戻りました。視界の端っこにオトメさんはまだいて、スマホを取り出して何かしているようです。

レジの行列をさばいて、一息ついた私に、オトメさんは、スマホの画面をこちらに向けて見せてくれました。

「これ、LINEのIDね。……LINEでよかった?」

よいです!! と大きめの声を出して、私は慌ててメモを取ります。メモが終わるのを見計らってオトメさんは、じゃね、と立ち去っていきました。神々しく光の輪を背負って。それは私にそう見えただけか。私はふかぶかと頭を下げて、ありがとうございました、と言いました。

すると、背後から店長がぬぼっと顔を出して、ほう、オマエはああいうのがタイプか? と言ってきました。思わず、ぎゃーと言いそうになりましたが店内だったのでこらえます。ち、違います、ちょっと……趣味が同じだったのでそれについて話をしただけです、すみませんでした! と言って、店内の品出しに向かいました。店長怖いです。女性だけど。貫禄ありすぎの店長。漫画で描くとしたら、眠そうな目にタバコくわえて、首筋とかぽりぽりかいて、無精髭がある感じです。女性だけど。

ちょっとウキウキした気分で仕事を済ませ、帰宅しました。夜22時。オトメさん、大丈夫かな、この時間。

まず検索。あった、これでしょうか。真帆ってのは本名なんでしょうか。女性のときだけ使ってるIDなのかもしれません。アイコンめっちゃ美人に撮れてます。本人も可愛い感じの人だけど、よりいっそう可愛い。そして若くみえます。このアイコンだと20代って言われても信じちゃうなあ。……年齢聞いたわけじゃないから、ホントに20代ってこともありますけれど。

さて、ひとまずはお詫びをしておかないといけません……。「こんにちは、コンビニのレジ子です。いろいろと失礼をはたらいてしまいごめんなさい。でもお話できて嬉しかったです」と書いてひとまず投げます。おや、すぐに既読になりました。そして数秒ののち、

「こんばんわ。昼間はどうも。オトメさんですよ」と、返って来ました。ぎやー!

「ぎやー。忘れて下さい……ごめんなさいごめんなさい」

「あら、全然気にしてないから、気にしないでね」

「心広すぎっすよ……ありがとうございます。私はレジ子でいいです……」

「名前欄に、五花って書いてあるけど?」

「あう……。はい、それ、あの、本名です」

「なんて読むの?」

「いつか、です」

「いい名前。可愛い。似合ってる」

「うう、ありがとうございます。あの、真帆さんって呼んでいいですか……」

「どっちでもいいよw」

「心のコードネームも変更しますう。まほさんまほさん」

「それね、本名じゃないけど、本名ね」

「……ああ!」

そこから、真帆さんは、詳しくいろんな話をしてくれました。本名改名の手続きとかすれば通るんだろうけど、まだ今のところはこのままでいいかなって思ってることとか。女装を始めたのは一人暮らしをはじめてからだけど、したいと思ったのは思春期の頃には、だとか。コンビニへは、バレてるかもしれないけど、裏で笑われてるだけなら実害無いからいいかと思ってたとか(笑ってなんかいません! と私が力説しました)。

「どうして私に興味をもってくれたの? 女装おじさんが珍しかった?」

と真帆さんは言ってきました。

「うう、そういう卑下っぽいこと言わないでください」

「あ、ごめん。つい。だって、年下の女の子と話すことなんてないから、私だって緊張してるのよ」

だって。

「私も緊張してます。ってか、自分のやってしまったあれこれがまだ響いて、もうしわけないきもちで」

「だから、怒ってないってばー」

「はい……。えっと、そうだ、その、ゆびわ」

「ああーそうだったね、ゆびわ」

指輪のスタンプが来ました。めっちゃダイヤがぎらぎらしてます。

「そんなごついのじゃなくてw」

「そうねw」

「あの、答えたくなかったら答えなくていいんですけど……、彼氏さんからですか?」

「そうよ」

即答でした。

「私、43歳になるんだけど、」

「!! み、みえない」

「ありがとうw お世辞言われても何もでないぜw」

「おせじじゃないです」

「てへっ。その43歳でね、はじめてできた彼氏」

「わー! すてきですすてきです」

「いいだろうw 彼もね、同級生なんだけど43歳ではじめてできた彼女だって」

「ほおー、奥手さんですね」

「だよねえ。しかも彼女が女じゃないとか。うふふ」

「……まほさん、つっこみにくいです」

「ぬ。ごめん。私は、本当の女にうまれなかったことをうらんだり、くるしんだり、あんまりしてないから、ついつい」

「はい」

ほんとうかな。でも、真帆さんは冗談以外で嘘をつくような人でもありません。「あんまり」がポイントなのかもしれないと、心に刻んでおきます。

その日から夜になるとちょっとしたチャットをするようになっていきました。少しずつ真帆さんの考えてきたこととか、通ってきた道とかが見えてきます。今度彼氏と一緒にご来店くださいって言ってみたところ、彼氏とはまだ一緒に住んでないから、家に呼んだ時にねって言ってもらいました。どんな彼氏さんなんだろうと妄想を大爆発させます。奥手で同級生で身体大きい牛みたいな人って真帆さんは言います。言葉だけだと褒めてないように見えるんですが、真帆さんが言うとのろけにしか聞こえません。

私が漫画やイラストを描くことは真帆さんに教えました。その直後、何も言ってないのに「いつかちゃん、攻めの反対は守りよねw?」って送られてきました。私は観念して腐の文字がつく女子です……とカムアウトをします。そしたら「だと思ったw」って言われたのですが……。コンビニ店員コスプレをしているときには、リア充マントをかぶって完全防御をしているつもりだったのですが、やはり漏れちゃうものなのでしょうか。

「私のこと、描いたことある?」

と、にやにやしたアイコンとセットで聞かれました。もうとっくにバレているのでしょうね。完敗です。というか、私も心のどこかで、真帆さんに見て欲しいと思っていたのかもしれません。スマホでイラストの写メ撮って、送ります。

真帆さんからの返信までにはちょっと間が有りました。私の絵柄は、デフォルメがあんまり無くて、古いタイプなので、男っぽさが強く出ちゃったかもなあ、もっと可愛く描けてるやつを送ればよかったかなあと、しばしウジウジしていたら、真帆さんから、「保存しました。めっちゃ美人に描いてもらったよう、うれしいよう」と涙目アイコンつきで返って来て私は大きく胸を撫で下ろしました。

「じつは」

「はい」

「ほかにもいっぱいあります」

「まじで。ぜんぶください」

「ぜんぶはだめです」

「なんでよー」

「だ、だって、私の妄想100%なんですよ……」

「べつにいいじゃん」

「セーラー服とか着せてます」

「( ゚д゚)クレ」

「えっ 最近だと、島風コスとかもさせてます」

「( ゚д゚)クレ( ゚д゚)クレ」

「いいんですか? おこってないですか」

「おこるわけない。全然おーけー。ってか、本気で欲しい」

「……真帆さんって、コスプレとかもするんです?」

「……わ、わかいころはね」

「みせてくれたらわたしもあげます」

「うわ、とりひき来たw」

などというしばしのやりとりのあと、真帆さんのコスプレ写真を何枚かゲットしました。

うわ、なんだこれ可愛い! 鏡音リンちゃんではないですか。うっわなんだこの可愛い40代。ショートパンツから伸びた足がちょっと太くて健康的で、女の私でさえそれを官能的と感じるような足です。げ、こっちは、鹿目まどかちゃん。ふっくらした頬によく似合っています。

ってか、真帆さん、どっちのキャラもここ数年のじゃないですか。……さっき若いころって。と、ツッコんだらふくれられた。ふくらんだモチみたいなアイコンが連続でいくつか来たので、必死であやまります。てか、43歳でここまでできるなら上出来すぎじゃないですか。

これ描きたいな……そして、男キャラと絡ませたいな……。彼氏写真も欲しいなあ……。

でも、先に約束があるので、妄想コスプレをさせたイラストを送ります。

「ぎやー可愛い! うれしい! さすがにぜかましは着れないと思ってたので、イラスト超嬉しい!」

と、喜んでいただけたようなので、何よりであります。

本当に見せられないのは、コスプレをしている絵ではなく、何も着てない絵なのでありますが、それはまだ送らないでおきましょう。どうせ、そういうのがあることもお見通しなんでしょうけれど。

「ね、真帆さん。真帆さん彼氏の写真も欲しい」

「あーそうねえ」

「うん。そしたららぶらぶな感じの絵にする。したい」

「うわーそれはきょうみあるな……。でもごめん、彼氏写真、無いのよ」

「あれ」

「や、一枚だけあるけど、これはちょっとごめん、大事な一枚で、人には見せられなくて」

それが見たいのに! と思いましたが、真帆さんにとっての彼氏はとても大事なものだと思うので、そこには駄々こねないことにします。

「そうかーざんねんなりー。ってか真帆さん、うちの店の前に証明写真機あるじゃないですか」

「……あったっけ、あったようなきがするな」

「それで彼氏とつーしょっとどうすか」

「あの機械の売り上げってお店のものになるの?」

「ちょっぴりね。って、そういうことじゃなくて!」

本気で店の営業とは思ってなかったのですが、この提案は真帆さんにとって魅力的なものだったようです。真剣に考えるって言ってくれました。プリクラ専用機じゃないから狭いですけどって言いましたら、狭いのってもえるよねって返されました。おあつうございます。

おじさんおばさんカップルだからさ、ゲーセンのプリクラはちょっと恥ずかしいのよ、と真帆さんは言います。そんなことないのにって思いますが、ゲーセンプリクラに並んだことがある私は、確かにギャルとか多かったしなと思い返します。なんか初々しくて聞けば聞くほど可愛らしいカップルに思えてきます。

彼氏とはアキバでよく会うようですので、ちょっと遠くにお住まいなのでしょうね。真帆さんのおうちに来られたことも何度かはあるようですが。

十代の頃と違って、恋愛もね、ゆっくりペースなのよ、と真帆さんは言います。毎日会えなくても大丈夫だったりするの。そりゃ会えるならそれに越したことはないけれど、ね。

その、会えない日のために、指輪ってあるのね、と真帆さん。なんかね、これがあるだけで、何の根拠も無いけど「大丈夫」って思うの。買ってくれたときのあの赤い顔とか、ちょっと震えながら私の指につけてくれたときの汗ばんだ手とか。思い出すだけで私ね、本当に満たされた気分になるの。……そういうのって、たぶん多くの人は20代で経験するんだろうね。私達はなんだか遠回りして40歳過ぎちゃったけど、はじめての気持ちってのはあんまり変わらないものね。

真帆さんは私を羨ましがらせる名人です。今までそんなことほとんど思ったことが無かったのに、彼氏いいなあって思うようになってきました。私のもとにも王子様来るんでしょうか、と弱気なことを言ったら、王子様は来ないだろうなあと笑われました。でも、そこらへんにいる普通のおじさんやお兄さんがさ、気づいたら王子様になってるんだよ、ですって。

それからおよそ一ヶ月後、真帆さんは、彼氏さんとご来店されました。聞いてたとおり、牛みたいな王子様でした。聞いてたとおり地味な感じで、聞いてたとおり背も身体も大きいんだけど、印象に残りにくいのは確かかなあ。でも真帆さんと一緒だと王子様どころか王様みたいに見えます。真帆さん王妃だ。ちぇ、ホントにお似合いだなあ。

表に出て、証明写真機の説明をします。店員がそこまですることは本来無いんだけど、サービスサービス。本当は二人で撮るところ見たかっただけ。これホントに二人入っていいの!? とか言いながらきゃっきゃうふふ。美肌に撮らないと許さないぞー! と真帆さんが言ってます。そして、フラッシュ四回。終わったかな? と思ったら、二人とも真っ赤な顔して出てきました。

最後の一枚は二人が同時にほっぺにちゅーしようとしたので、唇同志でちゅーしてしまった、という中学生みたいな事故キス写真が、にゅーと機械から出てきました。

お二人とも、末永くばくはつしてください、と私は言いました。照れながら、帰り際真帆さんは私に耳打ちしました。ありがとう、五花のおかげで宝物できた、ですって。

いえいえ私こそよいものを見せてくださってありがとうございます。もう、絶対に見せられないような妄想炸裂した漫画が頭の中でどんどんページ数を増やしていますよ、と言ったら、それも送りなさいよ、と真帆さんに言われました。

まだ18歳になってないから、描くわけにいかないんです……と言ったらお二人とも仰天しておられました。

あれ? そういえば年齢言ってなかった? 私。

Sweet Around Fourty

「ね、今度、女装してっていい?」

という一言のためにこんなに気力を振り絞ることになるとは。実際のところ私の女装写真など嫌になるほど見ているだろう相手なので、そんなこと断りもなく普通にスカート履いて化粧して会えばいいじゃないか、と思わないでもない。

でも、やはり、透けて見えてしまうのだ。どうしたって、女装の、向こう側が。

*

もう43歳になったことの実感は、老眼が最初だった。髪に混ざる白髪は、あるにはあるがまだ気にするほどでもない。シワやシミもそりゃあるし、肌のハリも衰えたなとは思うけれど、具体的にこりゃ困ったなと思ったのは、小さい文字が見えないことだ。老眼鏡をかけるほどではない。が、近眼のメガネを外して見たらよく見えたという経験の最初はさすがに、ああ、これが老眼というやつか、と落ち込んだ。とはいえ。仕方が無いではないか。生きていれば新陳代謝を繰り返し、少しずつ衰えていく。平均寿命からすれば半ばを過ぎたぐらいだ。今まで過ごしてきた時間と同じだけまだ残っていると考えると先は長い気がする。

子供はない。そもそも結婚もしていない。気軽と言えば気軽だが、まだ両親は健在で私の結婚を諦めていない。将来一人になってしまうことを心配しているようだ。その頃には世の中に独身老人は多いだろうけどね。どうなるんだろうね。

学生時代の友人は大半が結婚したが、まだ数人未婚がいる。もうとっくに自分だけになってるだろうと思ってただけにちょっと意外ではあった。

その中の一人、藤原幸人と再開したのは、ネットが切っ掛けだった。

あのfacebookというやつは勝手に電話帳を探り、勝手に知り合いを探してくるらしい。名前で検索しても正しい人を引っ張ってこられないくせに周辺情報から探してくるとは密偵のようだ。

最初からfacebookには女で登録した。名前も女装時に使っている望月真帆にした。苗字は本名だ。写真も自画撮りのキメ顔で、まあ10枚撮れば一枚くらいはまあまあ可愛く見えるやつが撮れる。上目遣いにしているのは二重あごが目立たぬように、というのと目が大きく見えるという錯覚を利用するためだ。まるで女子高生のようなテクニックだが、むしろ私達女装者のほうがそうした知識は豊富かもしれない。ま、必死だからな。

だから、学生時代の友人は名前から私を探すことはできないはずだ。写真を見たってすぐに私だと気付かないだろう。

……と、思っていた関門をいともたやすくすり抜けたのが藤原だった。おそらく確認用に入力した携帯メールアドレスが一致したとかそんな理由だ。危ないなあ……その後すぐに携帯メールは検索に使われないように設定した。

「甲府にいた望月くんですか?」というメッセージが届いたのは、深夜、ネットを巡回中だった。スマホにプッシュ通知。facebookはそんなに積極的に交流に使っていないので珍しいなと思いつつ開いてみたら、懐かしい名前が見えた。

「あ、ええと、藤原くんだね? 久しぶりだね! ってか、あの、この写真と名前でよく私だってわかったね(笑)」

と返事をする。カッコワライは照れ隠しだ。女装歴20年もすると身バレなども経験してきている。案外すんなり受け入れられるものだと知ってはいる。それでもやはり緊張感はあるものだ。

「違ったらすぐにごめんなさいをするつもりだった(笑) ずいぶんキレイになって。久し振りだねー」

ぽん、という軽快な電子音に乗せてそんなメッセージが飛んでくる。穏やかな笑顔を思い出してくる。

学生時代と言っても、藤原とは中学時代からの友人なのである。中学高校を通じて二人で同じ文芸部に所属して小説だのアニメ感想文だのを書いてきた。今で言えばオタク仲間とでも言えるだろうか。当時はオタクは間違いなく蔑称だったので自称したくはなかったのだ。

藤原は身体が大きい。一方私は小柄なほうで、二人で並ぶとまるで漫才コンビのようなコントラストだった。お互いの家に行ったりという交流は不思議となかったけれど(市内でもちょっと家が離れていたのだ)、帰り道にちょっとした寄り道をしたりはよくしたものだ。

高校を出て大学は別々に進んだ。その辺りから交流は疎らになり、年に一度の年賀状ぐらいでのつながりになっていた。

facebookのしてやったりという顔が浮かぶようだが、懐かしく嬉しい再会だ。つもる話もある。今どこにいるの? 都内に出られる? 飲もうよー! とすぐに話はとんとんと決まっていく。

その週の金曜夜にはもう秋葉原の居酒屋でオフラインミーティングにまでこぎつけた。

「なあんだ、普段は女装じゃないの?」

というのが藤原の第一声だった。私は照れながら「や、うん、驚かせ過ぎちゃうかなって思って。」と言った。普段から髪は長めなのだけれど、一つに結んで、レディース服だけどだぼっとしたどっちつかずな格好で行った。髭は数年前にレーザー脱毛したのでノーメイクでもまあ女性に見えないこともない。

混んでいたのでカウンター席に並んで座って、ビールで乾杯。藤原はその大きな身体に似合った豪快な飲みっぷりだった。思わず私は、いいねと言ってしまった。「いいね!いただきました。」と言う藤原。どうやら彼もネットスラングなどそこそこ詳しいようだ。

今の仕事のこと、高校時代のこと、大学時代に所属した文芸部の話。話は尽きない。会って話すのは20年ぶりくらいだというのに、まったくそうしたブランクは感じない。不思議なものだ。

「いつから女装してんの?」と聞かれた。正直に答える。興味持ったのは小学校の頃からだけど、ちゃんとできるようになったのは一人暮らしはじめてから。だから高校出てすぐかな。おー? だったら女装ライフスタートしてから何度か会ってたってこと? 見抜けなかったなーなんて藤原は言う。そりゃ昔は今よりもガード固かった。バレたら相当にまずいことになるに違いないと全方向におびえていた。

けれど、女装という趣味は普段の格好も少し身ぎれいにするようになるし、立ち居振る舞いにも気を使うようになる。清潔感があればむしろ好意的に受け取ってもらえることさえあるのだ。時代もあるだろうし、先輩方が切り開いてきた啓蒙活動の成果というのもたぶんにあるのだろうね。

などと酔っ払っているのでちょっと饒舌だ。藤原はもちろんそうした話に否定的な態度をとらない。ああ、変わらずに安心できる友人だなあ……。

その日は終電近くまで飲み、またすぐに会おう! と約束をして別れた。お互い楽しかったのは事実であり、次の約束は本当に早くに果たされた。それからしばらく一ヶ月から二ヶ月程度を挟んで会うようになっていた。

藤原も独身だった。私のような女装趣味があるわけでなし。理学的な知識もあるような秀才だし、容姿も地味かもしれないが決して悪くない。出会いが無いんだよねー、などと笑っている。

私は、女装はしているが、恋愛対象は女だ。……と、頑なに信じていた。学生時代のクラスメイトの女性に抱いたあれは間違いなく恋愛感情だった。その後も気になる女性と付き合ったりして、普通にセックスもした。女装趣味が知られてもそれが原因で別れたりはしなかったが、結婚までは結びつかなかった。

今思えば私の中に迷いがあったのかもしれない。

私にとっての女装は確実に「性別違和」の現れだった。けれどホルモン治療や性転換手術に至らない理由は、自分でも正直なところよくわからない。何か切っ掛けがあったら変わっていたかもしれないなと思う。

ただ、その場合恋愛対象が女性というのはどうなんだろうな、なんてぼんやり考えていたのだが、もしかしたら、単に自分の中の女がちゃんと目覚めていなかっただけだったのかもしれない。

つまり。

私は藤原に男を見出し、そして、間違いなく惹かれていたのだ。

一人の夜、丁寧に化粧をし普段外には着て行かないようなドレスを身にまとう。このドレス姿で藤原に抱かれる妄想をする。衣擦れの音が耳に刺さる。自分の手のひらの温度ではなく、違う温度。大きな手。低い声。不器用な指先。痛いほど強く吸われる乳頭。体中につけられるキスマーク。叩いてくれてもいいのに。乱暴にしてくれてもいいのに。絶対にそんなことしないだろうけれど、そんな暴君であったとしてもきっと許してしまう。……いや、自分の中のM性はもしかしたらそうありたいと求めているのかもしれない。肉体を傷つけられるのは誰にされてもいいわけではない。彼じゃなくてはダメだ。彼でなくては。

果てた後に、彼でなくては、というのはもう完全に戻れないところに来てる証拠だなと苦笑いする。いつの間にか一緒に飲んだという単なる記憶が、甘い思い出にすり替わっていく。過去にさかのぼって妄想の分岐点にif文を挟み込む。あのとき、キスをせがんでいたらどうなっていたか。好きだって言っちゃったらどうなっていたか。

どうも自分の判断は甘いと思う。そんなに都合よくなるわけがない。向こうにも選ぶ権利はあるのだ。友人であるということと恋人であるということのあいだには大きな隔たりがある。男同士であるということや43歳に至るまでさほどの恋愛経験も無いということ、それは隔たりを大きくしこそすれ簡単に飛び越えられるようなものではない。

難儀な恋愛をはじめてしまった。いい年をして友人を無くしたくなどない。しかし先に進みたいとも思う。

あまりにも妄想が甘美過ぎるのかもしれない。

そして言ってしまったのだ。「ね、今度、女装してっていい?」の一言を。藤原は何一つ普段と変わることなく、お、いいよ、生で見られるの楽しみだな、と屈託なく笑う。

ここまでは想像したとおりだ。そして、実際に私の女装を見て、目を細めてくれるその穏やかな顔までありありと予想がつく。そしてそれはあまりにも……優しくて胸が痛む。

気合が入りすぎた女装は失敗につながる。いつもならなんてことのないアイラインが震える。差し水のように油断した部分を意図的に作ろうとする。それが43歳なりのバッファだ。下着は慣れたものにする。ちょっとくたびれたブラジャーとショーツ。ことさらに扇情的な下着なんて、写真に残す時だけで充分だ。少し出っ張ったお腹を隠すためにも、毛あれの目立つ足をカバーするためにも、黒いストッキングを履いた。

ゆったり目のブラウスに合わせたスカートを履く。靴もヒールは高くないものを選ぶ。男は女ほどに足が柔らかくなく、甲が高い。ヒールは身長を目立たせるが、それ以上に歩く姿を醜くしかねない。

デートらしい気合いと気張り過ぎないバランスがそれなりに絶妙かな、と自画自賛する。何枚か自画撮りをする。カメラアプリの性能がよいので、肌の難を隠して実物より綺麗に撮れる。この写真は可愛く撮れたが、現物はニ割減ぐらいに思っておいたほうがいい。

待ち合わせは秋葉原駅だった。金曜の夜。私は比較的時間が自由にできる仕事なので、早めに仕上げて、こうして準備をしてきたが、藤原は会社帰りだ。

バッグからスマホを出して時間を確認していたところに、声がかかった。「おまたせ。見違えたね。可愛いねー。」

……どうしてこんなことをすんなり言える男がモテないのだ。今のは殺し文句だろう。必殺技か。私は藤原の顔を見上げながら、もう泣きそうになっていた。かろうじて言う、ありがとう。

頬が上気する。どこからどう見たって恋する女だろう。たとえリードされて男だとバレたところで、それは恋する女装男に変わるだけだ。

いつもより声を少しだけ絞る。太くて大きな声を出さなければ外見に印象は左右され、声でバレることはあまりない。ましてや中年に差し掛かったおじさんおばさんが仲良く歩いて仲良く食事をしていたところで、それを気にかける人など多くはない。「今日は少しいい店行くかな。」と藤原が含み笑いをしながら言う。女装男と一緒だというのに、それを楽しんでくれているように思う。だったら……、だったら私、全力で乗っかっていいかな?

頭の中で吉田美和が「ちょっと何よこれ楽しいじゃない」と歌い出す。もちろん「ちょっとこういうの嬉しいじゃない」と続く。まるで10代か20代の若者みたいにはしゃぎたくなる。なんだかよくわからないもので胸がぐいぐい満たされていくのがわかる。それでも頭の奥で、私自身が「飲み過ぎるな」「はしゃぎすぎて男を出し過ぎるな」と警戒する。そこが40代のいいところなんだろう。

押し入れから見つけ出したと言って、藤原は古びた同人誌を取り出す。もしかして、それ、私達の部誌? そう! なつかしー! え、私何描いてるの? わー、そうか、パトレイバーとか始まった頃だね。藤原くんやっぱ車とかバイク当時からうまいねー。真帆くんはこの時から女装っ子とか描いてるじゃん。ぶれないよね、お互い、あはははは。

あ、そうだ、風のうわさ。この時の3年生の部長さ、1年生のこの子と結婚したって。!? マジ!? 知らないよー!

はー、私達の知らないところで、あの部活でも愛が育まれてたんだねー、ひゃひゃひゃ。やー、その当時は全然だったらしくてさ、社会人になってから再会したんだとかなんとか。へー! そうなんだ!

お酒のせいだろうか。うっかり私は言ってしまったのだ。「私達と一緒だね。」

実際のところ、深い意味があったわけではない、単に「社会人になってから再会した」という部分に掛けたつもりだっただけだ。けれど、藤原は一瞬笑いを止めた。

あ……私、やっちゃったかな。冷たい汗が出たのがわかった。言い訳しよう。なんか上手に、ってか正直にそうじゃないって言えばいいのかな。あ、でも、そうじゃないって失礼かな。

藤原は別に怒ったふうでも動揺したふうでもなく、私の様子に気づいた風でもなく言った。「俺らは……結婚は……無理なんじゃないかなあ。」

これは、ジョークなんだろうか。愛を育む、ってところを否定しないのは自明だからだろうか。少し混乱する。

「そう、だよね。私、戸籍男のままだし、身体いじるつもりないから、このまま変わらないだろうしね。」

などと、余計なことを付け加えているかもしれないと思いつつ、拾い上げて会話を続けてしまう。

「養子縁組するとか聞いたことあるよ。」と藤原は言う。それは一般知識だな。ごく普通のよくある話だよな。

「そうだねー」と、気が抜けたような返事をした。これでこの会話は終わりだろう。少しホッとした。

と、思ったのに。

「一緒に生きていけるパートナーと出会えるのは、それだけで羨ましいよ。」と、藤原は言った。

43歳。独身。親も年老いて、先のことを考えなくてはならない。いずれこのままでは一人になる。そういうことを考えたことが無いはずはない。20代の頃は、30歳までお互い独身だったら結婚しようね! なんて言い合える女友達だっていたのに。いつの間にか彼女達は自分を置いて結婚してしまった。

私はこんな風体だから考えたことは無いけれど、結婚相談所とかそういう具体的な行動にだって出られたはずなのに。

少し気持ちが落ち着いてきた私は、蒸し返すようなことを口にする。「私が本当の女だったら、私達結婚したりしてたかな?」 うん。我ながらすごいこと言った。このタイミングで、それ言うか。お酒怖いな。

藤原は一瞬間を置いてから、「あー」と言った。極めて曖昧な、どうとでもとれる言い方で「あー、あーねえー」と返事をした。失敗しちゃったかな、やっぱりここでそれ言うべきじゃなかったな、と二度目の反省をし始めたとき、藤原は小さな声でぼそぼそと言った。

「や、えー、別に本当の女じゃなくてもさ。結婚じゃなくてもさあ。ってか、まだそういう話するのは早過ぎるってかさあ。」私達は根がオタクなのだ。ひとりごとのようにぼそぼそと言ってしまうことは、まあ、よくあるのだ。

でも、でも、どういうことなんだろう。つい、私は、藤原が愛おしくなって甘えてしまう。

「ねえ、今日の私、可愛い?」

バッと顔を私に向けて、目を見開いて藤原は言った。「可愛いとも!」

私の身体から硬さが抜けていく。ふにゃふにゃになりそう。「ありがとう、嬉しい。ちょう嬉しい。」

「めっちゃ可愛いってかさ、俺らお似合いじゃねえ!?」

藤原の顔が真っ赤だった。こんなに赤い顔の人いないよ、って笑いたくなるぐらい真っ赤だった。緊張したんだろう。すごく勇気を持って言ったんだろう。なんと可愛い人なんだろう。

私は涙が出てきた。それを見て藤原は焦る。ひどいことを言って泣かしたと焦ったのかもしれない。そうじゃないよと手で制しながら、私は言った。「ありがとう、……大好き。」

*

子供の頃に想像した40代の恋は、もっとスマートで、もっと秘めやかで、もっと湿っていた。けれど、経験が浅いままに40代になれば、結局10代や20代と変わらない、幼稚でボキャブラリの少ない会話で、暴投のキャッチボールをしながら探りあうのだ。

あとからあの流れはぐだぐだでカッコ悪かったなーって思うけど、別にそんなことどうでもいい。伝えたかった思いは伝わったし、向こうからも伝えてもらった。これ以上何を求めるのか。

……いや、求めた。求めたけど。その後、たくさん。キスや愛撫やセックスや。それこそ何も無かった20代30代のブランクを埋めるように。でも、ほら、老眼になりつつあるし、体力だって衰えてきてるから、そう一晩中というわけにも……。

難しくて面倒なことを考えなくてはならないことはわかっている。しかも待ったなしだ。

でも、せめてもう少し、この胸の中がとろけるような思いが消えないうちは。

甘く。

朧月

案の定というか、思っていた結果になりました。
つまり、任務完了だね。憎まれ役、お疲れ様。
最初のうちは、いつもよりちょっとはしゃいだ感じで、楽しかったよ、なんて報告をしていたんだけれどね。一通り話し終わってから、「そういえば……」なんて思い出した風を装って、「民夫ちゃんの彼女って人が途中で来たんだ。」って。
あら、そう、なんて私もちょっと白々しかったかな。しばらくは大丈夫かと思っていたんだけれどね。お風呂からあがって、テレビ見てると思ったら、涙こぼしてた。
まったく、娘の成長の早さには驚かされるばかりだわ。いっちょまえに本気で恋愛をしていたんだねえ。相手があんただってことにも驚いたけどさ。
まだ、そこらへんにいるんでしょ? 電話で、おやすみ、くらい言ってやってよ。そのくらい、許す(笑)
ところであんた、その彼女とやらは、本物なの? そろそろ父さんを安心させてあげなよ。
じゃあ、またメールするね。

*

その予想通り、まだぼくは、姉のマンションからそう遠くないコンビニの駐車場に車を止めていた。薄暗い夜の闇の中、携帯の明かりがぼくの顔を照らす。車のドアを開け、外に出て夜風にあたる。しばらくやめていたタバコに火をつけて、煙を長く吐き出した。
あれほどまでにまぶしく強い、プラスの感情を、当事者の意思とは別のところで断ち切ることが、どれほど辛いか。姉はどこまでわかっているのだろう。
無理やり笑おうと、口をゆがめて、声を出してみたら、想像以上に湿っていた。無理もないな。ぼくは、失恋したのだ。
「民夫くん、大丈夫?」と、車の中から声がする。
任務を手伝ってくれた友人の奥様がぼくを心配そうに見ていた。ぼくは、鼻を一回すすってから、天を見上げ、ゆがむ星空を認めながら「タバコ、もう一本分だけ待ってください。」と言った。

キャッチボール

私と父さんは、偶然にも誕生日がいっしょだ。だから、星座占いの結果は同じはずなのに、どうしてこんなにも違っちゃったんだろう?
野球少年だった良和少年が、マネージャだった真由美さんと結婚したのが、今から21年前。郊外の小さな公営住宅で、慎ましく暮らし始めた夫婦は、翌年息子を授かった。父さんは、その息子が強くたくましく育つことを願い、強志と名付け、いっしょにキャッチボールをすることを夢見たのだそうだ。
確かに私には、小学校低学年まで、父さんとキャッチボールをした記憶がある。でも、それは長くは続かなかった。
私はね。外で遊ぶより、家でお人形遊びがしたい。そんな女の子になりたい男の子だったんです。
そりゃあ、私だって小さな頭で一所懸命考えて悩んだよ。どうして私は、オカマって言われていじめられるの? 可愛いスカートはきたいよ。髪も綺麗に伸ばしたいな。そんな日々大きくなる悩みを、さんざ迷った挙句母さんに打ち明けた。母さんは、大きなため息をついて、父さんになんて言えばいいのよ、と言った。娘ができて、大喜び……なんてマンガのようにはいかないものね。
それから少しずつ、男の領域を狭めるように陣取り合戦をした結果、すっかり女の子の装いをするようになれたのは、13歳の頃。父さんは、当時まだ40代になったばかりなのに、すっかり白髪だらけ。私との会話もほとんど無くなってしまった。
私のせいなのは、わかってる。わかってるけど、自分にも両親にもウソをつくのは嫌だった。自慢じゃないけど、私はまっすぐに育ててもらった。こんな私だというのに、いや、だからこそなのか、人として恥ずかしくない振る舞いができるようにと、人一倍気をつかって育ててもらった。
感謝してもしきれない。だから私も頑張った。
世間様が何のその。いじめるやつらを見返してやるぞと、オシャレに勉強に頑張ったよ。
「強くたくましく」は、別に男の子だけの特権じゃない。いや、私は綺麗で可愛い女の子になりたいと願う男の子だったけど、「強くたくましく」なることと矛盾しないよね?
その、私こと、強志少年は、本日ハタチの誕生日を迎えます。化粧もうまくなった。ミニスカートだってはきこなすぞ。履歴書に女って書いて、偽名使って、どきどきしながら面接をした書店のバイト。貯めたお金で、ちょっと大人っぽいスーツも買ったよ。
三人家族のうち、二人の誕生日が一致する今日は、恒例のささやかなパーティ。父さんからのプレゼントは毎年何も無かった。たぶん、それが父親としての最後の意地だったのだろう。
ハタチの記念にビールで乾杯。私は父さんに、Yシャツを贈る。毎年代わり映えしないけれど、と言いながら。悪いなとぶっきらぼうに答えて、父さんの目は細くなる。ただでさえ細い目がいっそう細くなる。喜んでくれたことが、それでわかる。ふと、父さんは決意したように立ち上がり、隠してあったらしい紙袋を無造作に私に寄越した。
え?
私は驚いて父さんの顔を見る。母さんも知らなかったみたいで、丸い目の驚き顔だ。照れくさいらしい父さんは、ぐっとビールを煽ってる。私はあけていい? と聞きながら紙袋から中身を取り出した。出てきたのは、シンプルだけど、ちょっとシックなワンピースだった。
ウソ。本当に?
私は声に出して、そう言っていた。今まで無言で許してくれていた父さんが、ついに背中を押してくれた。私はそう思った。そして、私はワンピースを広げてみようとして、その重さに首をかしげる。よく見れば、もう一つ包みが入っていた。ハテナマークで頭上をいっぱいにして、私はそれも広げてみた。
グローブ。もう一つの包みの中身は、野球のグローブだった。父さんは、言った。
「お前ももうハタチだ。どうせなら、いい女になれ。強く、たくましく、いい女になれ。ただ、父さんのコドモだってことは……、忘れるな。」
私は、ありがとうお父さん! と叫んで、両方の包みを抱えて、部屋に走る。ワンピースのサイズはぴったりだった。そして、グローブのサイズも。
今日ハタチを迎える、ワンピースの似合う、少年だった私は、涙をぽろぽろこぼしながら食卓に戻り、左手にはめたグローブをぱんぱんと叩いた。父さんは笑いながら「両方、似合うな。」と言った。
ありがとうお父さん。そして、にこにこ涙ぐんでいるお母さん。
これからも、強くたくましく、生きてやるぜ!