April 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

スタンプラリーの進捗率

毎年全国あちこちでスタンプラリーが開催されています。
もともとスタンプ収集が趣味な上に、あちこちめぐるのが好きな私にうってつけ。職業「スタンプラリースト」って無いですかね?
はてさて、今年のラリーについて、本日現在の進捗率を出してみようかなと。

■道の駅■
東北道の駅スタンプラリー
73/115 63.5%

関東道の駅スタンプラリー
6/109 5.5%

北陸道の駅スタンプラリー
34/61 55.7%

近畿道の駅スタンプラリー
1/90 1.1%

中部道の駅スタンプラリー(ハガキのもの)
静岡2、岐阜5 7.4%

中部道の駅スタンプラリー(ガイドマップのもの)
38/95 40.0%

ひだ・みの道の駅スタンプラリー
6/45 13.3%

■鉄道■
第四回「関東の駅百選」新スタンプラリー
10/25 40.0%

チャレンジ東京メトロ全駅スタンプラリー
55/139 39.6%

■その他■
日本ロマンチック街道ステッカーラリー16th
4/21 19.0%

……_| ̄|○
数字で見てしまうと、えらいこっちゃな。

全体進捗率:29.4%
のこり:561箇所

むりむりむり。絶対無理(笑)
ここから、まあ、近畿ははずしたとしても、33.0% のこり472箇所

ま、ぼちぼちやるです。ちゅか、手出しすぎだ。

しちょうそんの形

平成の大合併も大きな波は過ぎたのかな。4/1付けでどどっと合併して、随分すっきりしちゃいました。
自分の収集物などの整理のため、Excelでデータベースを作っているのですが、ひとまずようやく現状に追いつきました。
以前はなんとなく覚えていた自治体の名称もいまや役立たず。新しい町の名前や、位置関係など、さっぱりわかりません。
ので、のんびりまた覚えなおすかー、と市町村の境界を記した地図を眺めていたのですが。

すごい形になっちゃってるね。

変な形のパズルみたいで、今までみたいに主要道路や線路、そして等高線などから境界線が推測できない。
青森県五所川原市は、大きな飛び地が出来ちゃったし。
長野県松本市は、もちを伸ばしたみたいになったし。
新潟県妙高市と上越市の境界は、ぐっと手を握り合っているように見えるし。
岐阜県関市は、翼を広げたような形になっているし。

上記の町がそうだとは言わないけれど、揉め事が目に見えるような形は、やっぱり嫌だよね。
将来に大きくかかわる話なんだから、一時のメンツで決めちゃったりしないで欲しいなあ。

帰って来たよ

向こうでは雪がふったり、氷点下になったりしていたのに、こっちに帰って来たら桜満開。
なんだか、プロセスをふっとばしちゃったみたいで、キモチワルイぞ。

花粉なんですが、旅の後半になるにしたがって、少しずつ楽にはなっていました。それでも激しくくしゃみしたり、鼻水ずるずる出たりはしていたんですけれど。
で、こちらに来てみたら、そりゃあひどいことに。

向こうで買ったものや集めたものをまとめて小包にして、送っちゃったのですが、それがそろそろ届くかな。
それを整理しつつ、余韻に浸るのです。

あいたくちがふさがらない

市町村合併:新市は「中央市」

どこまでセンスないんだね、山梨県。

話題になった南アルプス市に始まって、
甲斐市(甲斐は山梨全体なのに、なんでそこにつけますか?)
北杜市(突然降ってわいた名前なんですが。宮城県と間違えられないか?)
笛吹市(比較的まともか)
上野原市(普通でほっとするよ)
ここまでがもうできちゃったところで、予定として
甲州市(2004/12/18のエントリ
で、中央市?

いい加減にしろよ。山梨出身として心底恥ずかしい。
お願いですから考え直してください。

9843駅の偉業

トラベルライター、鉄道の全9843駅下車を制覇

偉業。まさに、偉業である。
何が凄いって、約8年半ってところ。
短すぎだろう。だって、8年半って、およそ3000日だよ?

彼が国鉄→JRの全駅を制覇したのは知っていたし、それを本にしたものは私も読んだ。そして、その後私鉄の各駅を回り始めたことも知っていた。
それが仕事となっちゃう世の中にもすごいなあと思ったけれど、考えてみたら私もあんまり人のことは言えないかもしれない。

鉄子の旅、という漫画がある。
実は私、立ち読みでさらっとしか読んでないのだけれど、横見氏と漫画家との「ちぐはぐな」旅を描いた作品だ。ちゃんと読むと、私、いたたまれない気分になりそうで……(笑)

ちなみに私、現時点で訪問駅数は、4101駅である。
半分じゃん。しかも私の場合、25年にわたっていますもの。及ばぬ及ばぬ。てか、別に及ぼうとも思わせないところがまた凄いんだけど(笑)

雪国どらいぶ

20050110_059

昨年までの私と、今年の私はちょっと違うのよん。
車が新しくなり、スタッドレスタイヤを導入したのです。
先日関東で降った大雪のときも、まったく問題なく走ってくれたタイヤに気をよくして、思い切って行っちゃいました。北陸地方。
でもね。
まさか、大雪警報まで出るとは思ってなかったよ……。

しかし、関東の混乱ぶりとは裏腹に、さすがに慣れていらっしゃいますね
丸二日間雪国を走行していて、得た教訓がいくつかあるのですが、そのうちのひとつを。

彼らは大雪に慣れています。それこそしょっちゅう降るし、積もるし、それがアタリマエなのです。
でも、雪かきをするんです。ポイントを押さえてやってるんだろうけれど、しっかりと雪を片付けるのです。
私などは、どーせまた降るんだし……と思ってやらないかもしれません。そこに大きな違いがあるのでしょう。
いくらまた同じことをすることになるからといって、定期的にやるのと、まったくやらないのとでは、のちのちの労力が違います。つまり、彼らは知ってるのでしょう。早いうちにやっておくべきである、ことを。
そのとき、自分の部屋の状況が思い浮かびました。
どうせまた参照する本だし、ココに置いておこう。文具は手の届く範囲に、またすぐ使うから置いておこう。
それを繰り返すとやがて、自分を中心とした扇形の範囲に、どんどんモノが堆積してしまいます。
それじゃ片付かないのよ。そこが片付けられる人と、そうではない人との違いなのだろうな、と。
普段生活しながら気づけよってなもんですが、そういうことに、雪国で気づかされたのでした。

雪の坂道ですべると、ああ、自分の車は、確かにFFなんだなあ、とか認識してみたり(笑)

飛び地というか

高崎地域合併協議会

全国で市町村合併の嵐が吹き荒れている昨今ですが、目に見えるのは縁談がうまくいった例だけです。
現在次々と進んでいる合併が行われていないからといって、そういった話が無かったかといえばそんなことは無く、どの自治体も模索しながら決めている最中だと思うのです。
正直、揉め事を増やしているだけ、という印象もあるのですが、コウモリがいたり、裏切り者がいたり、突然ちゃぶ台をひっくり返すものがいたり、自治体単位のどろどろ人間模様が垣間見えるようです。
中でも、「飛び地」は、その揉め事が目に見える形のひとつなのかなあと思うのですが。

上にリンクした、群馬県高崎市の合併協議会のサイト。地図を見ればわかりますが、二箇所、明らかに飛んでいます。
高崎市と倉渕村、実は間に挟まっているのが、私の名前の由来ともなった「榛名町」なのですが。
どうもあれこれと揉め事があったらしいことは、実家で聞いていて、あ~あという思いだったのです。が、さらに輪をかけて、そこまでやるかよおいってな事例を見てしまいました。

交流バス倉渕線

高崎市役所と倉渕村役場を結ぶ、無料のバス路線なのですが。
停まらないんだってよ、通過する榛名町内は。
……露骨というか、なんというか。すごいね。

市町村合併は、明るい未来を作るものです、って、総務省も言ってます。
でもなあ。
遺恨を残してしまうような結果にならないで欲しいと切に願うのです。

32年ぶりの祝い事

-- 富士急行に「都留文科大学前駅」開業

たまたま、リニアモーターカーの話と同じ場所なんだけれど、山梨県の都留市に新しい駅が開業しました。
以前から出来るという話はあったけれど、実は今日寝耳に水って感じで知ったのです。開業日は昨日、2004年11月16日。

山梨県にしてみると、昭和47年に開業した新府駅(これだって本当は、信号場からの昇格だ)以来、実に32年ぶりの新駅なのです。
32年ものあいだ、駅名の変更はあったものの、路線図に駅のマークが増えることなく推移していて、今を基準にさかのぼっていくと、新しい駅ができない期間が最も長いのは、山梨県だったのだ。
国鉄がJRになる頃に、九州、四国、北海道では新駅開業のラッシュがあり、第三セクター鉄道が誕生すれば、地域の足にと新駅ができ、都会ではもちろん人口の増加に伴い新駅が開業してきた。
それでも山梨はぽつりと取り残され、駅ができるという噂話はあれど、立ち消えになることが続き、結局新駅不毛の地として、長年過ごしてきた。

私も18年間山梨県民だったから言っちゃうけどさ。そういうとき、気になるのは、佐賀とか、鳥取とか、島根の動向なんだよね(笑)
でもね。
佐賀県には、弥生が丘駅が2001/03/03に
鳥取県には、徳丸駅が2002/03/23に
島根県には、松江フォーゲルパーク駅が2001/07/23にそれぞれ開業しているわけで、やきもきするのも当然といえましょう(っていうか、関係県の方々すみません)。

でも、できたの。うれしいよう。事前に知っていたら、開業日に行っていたかも。
だって、山梨出身の駅マニアですよ、私は。駅を巡ることが好きで、生まれ故郷が好きだというのに、駅は少ないし増えないからとっとと全部回りきっちゃって。
近々行くべ。うひひ。愛でてこよう。
記念切符買えなかったのは、悔しいんだけどさっ。

トンネルを抜けると

images/20040808140

そこは、雪国?

高速道路より、峠道を走るほうが好き。ぐねぐねした道のカーブを数えながら、突如現れるトンネルを楽しみながら。
私は、果たしていくつのトンネルを越えてきたんだろう。短いものは、それこそ100メートルに満たないし、長いものは10キロを越える。
素掘りのトンネルもあったし、ぴかぴか開通したてのトンネルもあったし、高校時代は通学路にトンネルがあった。自転車で毎朝くぐり抜けたおよそ700メートルのトンネル。当時は有料だったんだよなあ。一度も自転車料金払ったことないけど。

トンネル工事技術者の方が書いた本ってあるのだろうか。単純に技術的な興味もあるけれど、トンネル堀りならではの「有り得ない話」というのが聞いてみたいな。
「高熱随道」は読んだよ。あれはどちらかといえば、技術的に「有り得な~い話」だけどさ。
こう、なんていうかな、山の神様との折り合いをつけながら掘っているとか、そんな話が読みたい。多分、地方出版なんかにあるんだろうな。

さて、川端康成の小説「雪国」。ちゃんと読んだこと、無い。
けれど、あの有名なフレーズ。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」。
これ「コッキョウ」なのか「クニザカイ」なのか、って昔から議論されていますね。私個人的には「クニザカイ」を推します。エチゴの国と、カミツケの国の境だからというのが理由なんだけど。
ベストセラー「声に出して読みたい日本語」は、初版では「コッキョウ」、現在の版では「クニザカイ」としているそうで。つまり、改めたと。
一方では、川端氏は、「コッキョウ」と読んでいるナレーションに対して何のコメントもしていなかった、という話もあり、実際のところは、謎に包まれたままです。
文字で書かれた小説なんだから、「どらちも正解である」という意見にも賛成。一度書いた文章は、どう読んでもらっても構わないものね。盛大な誤解は困っちゃいますが。

……トンネル話のついでに、リンクしちゃおう。
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091095744190.html
筒石も土合も湯桧曽も美佐島も竜飛海底も吉岡海底もみんな好きだ。

トンネルって、なんだか楽しい。

鉄道廃線跡を走る

images/20040829_0731

自サイト「お気楽ステーション」の廃線・廃駅のページの巻頭言としてこんなことを書いた。

昭和62年の夏。富山に転校していった友人を訪ねて、一人で電車に乗り込んだ。そのとき私は中学生だった。

富山駅で無事に落ち合い、市電に乗り込んだ。当時彼の家は、終点の大学前駅から徒歩で数分の場所にあった。
途中、「新富山駅前」という奇妙な名前の電停があった。「駅前?」とたずねると、彼はああ、前にここに電車が走っていたんだって、とこともなげに答えた。
見ると電停の目の前に朽ち果てて崩れそうになっている「駅だった建物」があった。
それを見た瞬間、私の気持ちは昂ぶった。なんだろう、いったいこの気持ちはなんだろう?

強烈に印象付けられたその「廃墟」は、それからの廃線行脚の始まりだった。
身近な廃線を調べ上げ、少しずつたどるようになった。
当時廃線に関する書籍は皆無に等しく、こんなことをやっているのは自分だけだろうとさえ思っていた。

……今気づいてしまったけれど、昭和62年は間違いで、昭和60年が正しい。あとで訂正しておきます。

その「新富山駅跡」の写真は、
http://www.sampoya.com/station/haisen/HS14.jpg
http://www.sampoya.com/station/haisen/HS13.jpg

8月の24日。朝から富山港線やら神岡鉄道やらを乗り歩き、夕方近づいた帰宅直前、これを見つけたのだ。
若い中学生とは言え、さすがに疲れていて、興奮しつつ廃線跡を歩き始めたものの、1キロも行かない間に断念、引き返し、家に帰ってしまった。
その後高校に進み、同じような趣味を持つ人(=K野くん)をかぎ分けて探し出した。
そういう趣味でつながっていたからこそ、卒業してからも情報交換など音信が絶えることなく、大学生になった平成4年。二人で富山までやってきた。
あれから7年も経過してしまっている。もう何も残っていないだろうと思っていた。
新富山駅跡は更地になってしまい、建物はなくなっていたものの、明らかに異質の空間として残されていた。
歩き始めてしばらくの後、次の駅だった「富山北口駅跡」にたどり着いた。舗装された線路跡に沿って、崩れかけたプラットホームが残されていた。
しかし残念ながら時刻は既に夕刻。これだけを目標にしていたわけではなかったため、やむなくそうなってしまったのだ。
薄暮の風景に溶け込む駅跡は美しかったけれど、写真にはキレイに残せなかった。
次の八ヶ山駅跡まで頑張って歩いた。正直、単調な道が続き、私は飽きてしまっていたのだけれど、ようやく辿りついた、掘割の中にひっそりと残る駅跡は、ほぼ現役当時をとどめていて、なかなかに私を興奮させてくれた。もっとも、同じ道を歩いて戻ることを考えるとかなり憂鬱にもなったのだけれど。
さらに先までも見たかった。しかし、時間が体力がそれを阻んでしまったのだ。
K野くんは、いつか行こういつか行こうと思い続けていたのだそうだ。私はといえば、廃線への情熱が薄れてしまった時期もあり、時々思い出す程度だったのだけれど。

そして、平成16年。私とK野くんは、いつの間にか、新富山駅跡に立っていた。
今度は車で。前回ここを歩いてから、12年。私が最初に来てから、実に19年の時を経て。
探索は容易だった。地図で目星を付けて、路地に入り込む。車を置きやすい場所を探し、少し歩いて駅跡を確認する。ああ、こういうことがやりたかったんだよな。12年前、そして19年前の私は。

新富山駅跡は、異質ではあるけれど、完全な更地となってしまった。
富山北口駅跡は、付近の道路が付け替えられたために、痕跡を見つけることはできなかった。
八ヶ山駅跡は、幸いなことに、すべて12年前のままだった。

その先は初めての道のりだ。鯰鉱泉前駅跡には崩れかけたプラットホームが残り、四方駅跡は公園になっていた。
海老江駅跡にはホームが残り、ペンキで描かれた停止目標までそのままだった。
終点の新湊東口駅跡まで来た。線路跡は明らかにわかったけれど、駅舎跡は不明。もっとも、この路線の廃止自体は、昭和55年だ。24年間あれば、どんな変化があったとしても驚かない。

こうして、富山地方鉄道射水線の探索を終えた。まさに、終えたという気持ちになれた。
それでもさ。
さあ、じゃ、次はどこに行こうかなって思えるあたりが、旅の面白さなんだろうなあ。
19年前の補完もいいけど、まったくの未知の世界も、きっと楽しいだろうな。